アラフォーのヘッポコピーライターが自らの失敗談で綴る、自戒と猛省の広告コラム。
※ 本コラムの内容は全て個人的な発言であり、所属する組織や団体とは一切関係ありません。むしろ早く関係して発言できる身分になりたいものです。
広告とは何か?これは、雑誌「広告批評」が主催していた「広告学校」の授業で必ず聞かれた質問です。生徒からは「企業から消費者へのラブレター」「商業と芸術の融合」「世の中の空気を作るもの」など広告の授業らしい気の利いた答がいくつも出ます。しかし残念ながらどれも間違い。正解は「ビジネス」です。広告とは企業にとって売上をあげるための「投資」に過ぎません。投資である以上、売上をはじめ、知名度や好感度のアップ、サイトへのアクセス数、コールセンターへの電話など、数値という目に見える形での「リターン」が絶対に必要です。
最近ではTwitterのツイート数やFacebookでの「いいね!」獲得を出稿条件に課す広告主も増えています。また波及効果として、営業マンがスムーズに商談できるようになった、就職希望の学生が増えたなど、直接の売上とは別の形での「利益」も期待されます。世の中の話題になるだけでなく、いかにして広告費以上の利益をもたらすことができるか。投資である以上、もちろん100%の保証はできません。商品が売れるためには、企業側の営業力や時代の変化など、広告では解決することのできない要因もあるからです。
結局、最後に問われるのは送り手の自信と覚悟です。例えるなら芸人さんが放つ渾身のネタのようなもの。そこには経験と技術に裏打ちされた勝算があります。なんとなく面白そうなことを、ただ適当に喋っているわけではありません。賭けではあるけれど、無謀なギャンブルでは決してない。広告も同じです。他社製品や市場動向からライバルの手の内を読むことができる。運任せのルーレットではなく、駆け引きのあるポーカーなわけです。
ただ残念ながら、どんなに考え抜いた自慢のネタでもスベることはあります。しかし批評や分析はすべて結果論にすぎません。終わってからならなんでも言える。だからこそ制作者は「これなら当たる!」と自信をもって言える広告を世に出さなければなりません。上手な芸人さんの話には、笑わせようとしていることがわかっていてもつい聞き入ってしまう魅力がありますよね?なぜでしょうか。そこには訓練された「芸」があるからです。必要のない商品を言葉巧みに売りつけられている。うまい話すぎてダマされている気がする。せっかく見てくれた人を、そんな不愉快な気持ちにさせてはいけない。それは消費者にとってはもちろん、広告主や制作者にとっても不幸なことです。ではどうしたらそのような不幸を避けることができるのでしょうか。この続きは後編で。