アラフォーのヘッポコピーライターが自らの失敗談で綴る、自戒と猛省の広告コラム


広告はギャンブルじゃない(後編)

アラフォーのヘッポコピーライターが自らの失敗談で綴る、自戒と猛省の広告コラム。
※ 本コラムの内容は全て個人的な発言であり、所属する組織や団体とは一切関係ありません。むしろ早く関係して発言できる身分になりたいものです。


第五回 <広告はギャンブルじゃない(後編)>

見た人の心に何も残さない。嫌われるどころか無視される。もちろん商品も売れない。結果、制作者が責められる。世の中は、誰も幸せにしない広告で溢れています。そんな不幸な広告を作らない方法。僕の経験では、それはたったひとつしかありません。見た人に「得した気分」になってもらうことです。
クスリと笑った。ホロッときた。気持ちが楽になった。世界が変わった。勇気をもらった。誰かに教えたくなった。面白い短編小説を読んだり、一片の美しいメロディーを聴いたときに感じるのと同じ気持ち。驚き、発見、いい余韻など「心理的な得」があること。
広告がひきかえに頂戴するのは視聴者の貴重な「時間」です。たった数秒の時間でも、誰かの貴重な人生の一部。その時間と労力に見合うだけの「オトク感」を提供する必要があるのです。モノを売っているのにイヤらしくない、押し付けがましくない。広告のくせにイイコト言うじゃないか。見た人にそう思ってもらわなければなりません。


ギャンブル

では逆に「オトク感」のない広告とは何か。それは企業の言いたいことだけを一方的に押し付ける広告です。
勘違いしてはいけないのは「スペック=消費者のメリット」ではないということ。世の中はますます薄く、軽く、美しく、おいしく、エコになっています。確かにそれは科学の進歩ですが、生活の進歩とは限りません。今のままでも十分に薄く、軽く、美しく、おいしく、エコだからです。ただでさえ薄いスマートフォンが0.1ミリ薄くなったところで生活は特に変わらない。きっとそれはものすごい技術のはず。人間は難しい方が優れていると思いがちな生き物なので、技術的な優位点さえ伝われば売れるはずだと思うのです。
でも消費者にしてみたら価格がもっと安かったり、操作が簡単だったりする方がありがたいかもしれない。そのズレを修正し、広告主の「言いたいこと」を消費者の「聞きたいこと」に翻訳すること。それが私たち広告制作者、特にコピーライターの仕事です。


Apple製品のように「こんなスゴいもの見たことない!」と誰もが思うモノでないかぎり、その性能差の多くは相対的なものです。ネットで何でも調べられる時代、広告に詳細な商品スペックを求める人はいないでしょう。商品や企業を好きになってもらうこと。それがこれからの広告に求められる役割です。その商品は、人にどう役立てるのか。世の中をどう良くしたいのか。スペックがユーザーにもたらす具体的なメリット、俗にいう「ベネフィット」を優しくわかりやすく、何より面白く伝えること。商品やサービスに込めた企業の想いを伝え、共感してもらうことが重要なのです。その想いが消費者の心を動かすかどうかはやってみなければわかりません。
でも、言わなければ何も始まらない。そう考えると広告は賭けというより、片想いに近いのかもしれません。そういえば広告の「告」は、告白の「告」でもありますね。


佐藤理人(さとうみちひと)
電通 第4CRP局 コピーライター。
マーケティング、営業を経て、2006年より現職。
東京コピーライターズクラブ会員。
受賞歴:TCC新人賞、ACC銅賞など。