アラフォーのヘッポコピーライターが自らの失敗談で綴る、自戒と猛省の広告コラム。
(前編からの続き)
「あいつらに言ってもムダだからさ…」
マーケッターの考えた戦略がイマイチなとき。営業がクライアントの本音をうまく引きだせなかったとき。クリエーティブ・ディレクター(通称「CD」。部長に相当します)と呼ばれるチームリーダーはよくそうボヤきます。かく言う僕も最近はよく「戦略から考えてほしい」「クライアントへのヒアリングに同行してほしい」と頼まれることが増えました。僕の仕事は本来、営業が入手してきた様々な情報やマーケッターが立てた戦略を元にキャンペーン全体のメッセージ(いわゆるキャッチコピーというやつ)やTVCMの企画(お話のこと)を考えること。正直、他人の仕事まで肩代わりするなんてめんどくさい。以前は内心で(だったら給料2人分よこせ!)と毒づいていました。でも最近はあきらめて素直に従うようにしています。だって、そうしないと勝てるコンペも勝てないから。
なんで言ってもやらないのか、できないのか、以前の僕はムカついてばかりいました。でもどんなに怒ってもなだめてもすかしても、敢えてホメて伸ばしても、人の性格って基本的には変わんないんですよね。ハタチすぎたらなおさらです。そもそも自分だって全然変わってないし。若い頃の僕も絶対に先輩たちから死ぬほど使えないヤツと思われていたはず。その点については超自信あります。だから僕は40になって憑き物が落ちたように決めたんです。もうこれからは自分のことは自分でしよう。たとえどんなに拙くても、提案する内容は全部自分で責任もって考えよう。それが自分の身を守ることになるのだから。
誰も信じない、頼らない。
それが僕が心がけている「個人的自衛権」です。誤解を恐れずに言えば、広告は「虚業」です。例えばTVCMの「アイデア」や、そのCMを流す15秒や30秒というTVの「枠」。どれも目に見えず触ることのできない実体のないもの。言い換えれば「霞」を売っている。特にCMなんて僕のド下手な4コマ漫画に数千万円の制作費が発生する。なのに、何ができるかは撮影するまでは誰にもわからない。考えてみれば恐ろしいことです。
しかし目に見えないからといって、この世にないとは限らない。例えば「ブランド」。「カッコイイ」とか「高級」といったイメージは、商品の性能以上に私たちの購買活動を大きく左右します。虚業は数学でいえば「虚数」。ないはずなのにあるとしか言えない、正に「想像上」の数字(imaginary number)。それは広告も同じこと。この世にまだないものを売るわけだから、最終的には「僕」という人間を「こいつアリだな」と信じてもらうしかないのです。
広告は企業にとって「投資」という経済活動の一環。僕ら広告代理店は担当した商品が売れなくても毎月の給料はもらえる。でもクライアントにしてみれば、その商品の売れ行きに社運や次のボーナスがかかっている。つまり人生がかかっている。どんなに広告が派手で目立っても売れなければ意味がない。だから僕が言わなければいけないのは「どうです面白いでしょう?」ではなく、
「どうです売れそうでしょう?」
であるべきです。クライアントは面白いことがやりたいのではなく商品を売りたいのですし、僕らはアーティストでも作家でも詩人でもないのですから。
だから僕にとってプレゼンとは「提案」というより「答案」に近い。自分が思いついたアイデアが正しいことを、まるで虚数式の証明問題を解くように、言葉とデータと理屈を尽くして無理なく美しく証明したい。面白いだけでなく、理に適っている。クライアントにそう思って頂けて初めて「虚」を、売上という「実」に変えることができる。だからこそ僕はすべての公式を知り、すべての計算を自分で解きたいと思います。
すべてを一人で考えることは最初はちょっと面倒だけど、慣れてしまえばそっちの方が断然早い。朝も夜もなく自分が納得できるまで徹底的に検証できる。仕事の遅い使えないヤツにイラついて何度も怒りの催促の電話やメールをする必要もないから精神的にもいい。正に月月火水木金金。元ワタミの渡邉美樹氏は「365日24時間死ぬまで働け」という発言のせいでブラック企業だと叩かれていましたが、そんなことを言われたら、僕ならすかさず「ハイ!よろこんで!」と言ってしまうかもしれません。
※ 本コラムの内容は全て個人的な発言であり、所属する組織や団体とは一切関係ありません。むしろ早く関係して発言できる身分になりたいものです。