寄稿 ドロ舟日本の行方


円安、株高は良いことなのか?

質問 最近はわからないことだらけです。ほとんどの人は株を持っていないのに、なぜ政府やマスコミは「株価が上がるのを良いこと」のように言うのでしょうか?
なぜ円安にするのでしょうか?円安で楽になる人が、円安で困る人を助ける仕組みが担保されているのでしょうか。
インフレって良いことですか?デフレのままなら、預金利率が0.025%でも、実質の価値は上がっていったと思うのですが。
株高、円安、消費税引き上げで、日本は復活したのでしょうか。インフレ・ターゲット理論って、効果があったのでしょうか。円安になったから株が高くなっただけで、それがどういう意味があるのでしょうか?簡単に解説してください。
(年齢はナイショ、投資家)


質問を、「株価」、「円高・円安」、「インフレターゲットの意味」という3つに分けて整理してみよう


Q1. 株価は高いほうが良いのか、どっちでもよいのか?

株価

「株価や地価が上昇すると、まずお金持ちがもっと裕福になり、そのおこぼれが世の中の全体に回っていく」という“トリクルダウン”効果が、アベノミクス導入初期に盛んに議論された。つまりは“お金持ちが豊かになるとおこぼれが庶民に行き渡る”というものだが、現実には分け前の分配はそれほど公平ではない。というのは、資産を保有しない労働者の賃金が上がるのは、景気が非常に良くなって、賃金を上げなければ人が雇えないという状況、つまり好景気の最終局面になってだけだからだ。
それでも株価や不動産価格が上がって、金持ちの懐具合が豊かになり好景気になると「労働者がクビになりにくい」、「大学生の就職活動が楽になる」、「バイトがすぐに見つかる」といった状況にはなる。
また、株価は非常に有効な景気の先行指標でもある。不景気の真っ只中に株価が急騰してその後実際に景気が良くなったり、好景気の最中に株価が急落しその後景気が悪くなったりする。このリードタイムはだいたい半年程度とされている。これには二つの理由がある。一つは株式が数ヶ月から1年先の企業収益を予想して取引されるためだ。不況のどん底でも、最悪期を脱したと思えば株式に資金が入ってくる。
もう一つは株価の自己実現的な性格によるものだ。株価水準は資産家が気にするだけでなく、企業経営者の設備投資などの意思決定に影響を与え、マスコミ報道などを通じて株式とは縁が無い人たちの消費行動も左右する。「景気は気から」である。
このため、株価が下がると実際に資産が減り消費が減る「逆資産効果」だけでなく、世の中の経済活動が鈍化する。だから、株価は上がっていたほうが普通の人にもよい(ただし、他の人をうらやんでばかりいる人たちには精神衛生上良くないかもしれないが)。2016年に入ってからの株価急落で、市場関係者だけで無く企業経営者の気分は暗い。これは質問者さんもなんとなく分かっていると思う。


Q2. なぜ円安にするのか?

円安

アベノミクスが始まる前の日本は、実力以上の円高で企業収益が圧迫され、多くの分野で競合していた韓国やドイツ企業との競争に国内外で敗れていた。「日本にあるのは輸出産業だけでない」という見方は甘い。円高になれば、例えば自動車の輸入は増えるし、ワインもどんどん入ってくるといった具合で、国産品は何でも割高になる。そして、日本に仕事を残そうと経営者が考えて国内に設備投資している大手企業は破綻する。長年の円高政策が、どれだけ国内の産業基盤が破壊されたことか。
国際協調とか世界平和と言っていても、国際政治の世界は、実際には資源・雇用・税金の分捕りあいだ。新興国の目覚しい経済成長で、日米欧の製造業の工場は中国や東南アジアに移り、IT産業やコールセンターの仕事はインドに流れた。企業の本社が日本にあれば、海外子会社を含めた“日本”企業の連結決算は良くなっても、工場が中国や東南アジアで販売会社がアメリカにあれば雇用と税金は日本では増えない。円高デフレでは既にお金を持っている年金世代は購買力が増してトクをするが、若年層は低賃金の仕事しか日本に残っていないツケを払わされる。
結局のところ、日本を含めた先進国は、自国通貨安にして生活水準を落として雇用を自国に残すか、通貨高と不況を選ぶか、という選択になる。アメリカのように基軸通貨国で世界最大の産油国・天然ガス産出国であるならまだ良い。ただ、日本のように天然資源の輸入に依存し、少子高齢化で10年もすれば恒常的に経常赤字になることが自明な国では状況は異なる。今は日本国内でお金が回っているから良いが、外国から借金しなければならなくなれば、日本が深刻な財政危機に直面する可能性が高い。そのときに自国通貨が暴落しても、もし円高が続けば輸出で稼げる産業基盤は日本には残っていないだろう。
「日本には科学技術がある」、「日本の職人魂が製造業の強み」という見方は、かなりノーテンキといえる。新興国の教育水準の上昇は目覚しく、普通に考えれば人口が日本の10倍いる中国やインドには創造的で意欲的な人たちが日本の10倍いることになる。「職人魂」も工場が日本になければ継承すらされないし、少子化で甘やかされた世代に昭和の美学を強制することは無理だろう。
2012年末の総選挙で日本国民の多数派が選択したのは「円高・デフレで不況もOK」よりも「円安・インフレで生活水準が下がっても仕事が欲しい」ということと私は考えている。


Q3.インフレ・ターゲットは意味がある政策なのか?

年金

先進国の中央銀行では2%程度のゆるやかなインフレを目標としているところが多い。アベノミクス以前の日銀が「物価さえ上がらなければデフレでも良い」というスタンスを採っていたのとは大違いだ。この違いはFRBと日銀の目的の違いに表れていた。FRBの目的は「雇用の最大化」と「物価の安定」だが、日銀は「物価の安定」だけだ。だからアメリカは「通貨価値が落ちても国民が幸福になるならばよい」という政策を繰り返し導入してきた。1971年のニクソン・ショックでいきなり金本位制を停止して米ドルを大きく切り下げたし、ITバブル後に住宅バブルを起こして乗り切ろうともした。2008年にはその住宅バブル(サブプライムバブル)がはじけてリーマンショックになったら、あれだけ批判していた日本の量的緩和政策を遥かに大きな規模で導入し、やはり通貨価値を大きく下げた。
 ちなみに、日本企業が1990年から失われた20年でバタバタと倒れたのはデフレだったからだ。あの時、不景気でもゆるやかなインフレであれば倒産件数はもっと少なかったはずだし、設備投資や研究開発費ももっと捻出できていた。そのカラクリは企業会計自体がデフレもインフレも想定したものでないからだ。デフレになると売り上げが減るが、銀行からの借金は減らない。だから当然返済に行き詰る企業が増える。逆にインフレなら売り上げが自動的に増える一方、借金はそれほど増えない。実際にそれほど儲かっていなくても会計上も黒字になりやすいので株価も上がるし、利益があれば投資もできる。
実は国の借金も基本的に同じ構造だ。デフレだと税収は減る一方だが、負担は減らないので借金がどんどん増えていく。逆に、インフレで低金利だと、国の借金の負担は軽減される。こう考えると、公的債務がGDPの約2倍の1000兆円という先進国最悪の水準にある日本にとって、インフレ促進の影の目的は財政再建ともいえる。
まれに「インフレになって金利が上がると日本は借金を返せなくなって破綻する」という“識者”がいるが、今日本が実現しようとしているのは「ゆるやかなインフレにしつつ、低金利は維持する」というものだ。これは経済学の教科書的には説明が付かないかもしれないが、量的緩和政策で長期金利も中央銀行が動かせるようになったことが大きい。インフレ率ほどには年金を増やさない「マクロスライド方式」によって、選挙で負けない年金削減策が現在進行中である。同時にインフレはお金を溜め込んだ高齢者に実質的に課税することになる。円安になって輸入インフレがさらに進展すれば、万々歳で財政の建て直しができる。
 これがいやなら消費税を25%に増税するか、年金支給額を今すぐ半減するか、将来ギリシャのように財政破綻してから同じことをするかという選択になる。私には、ゆるやかなインフレにして、ジワジワ年金を実質的に減額する現在の財政・金融政策は極めて現実的に写るがどうだろうか?


どう行動すべきか

年初からの株価と為替を見ていると、「どうやら円安・株高のどこか悪いの?」と悠長なことを言っていられない状況になってきた。これから円高がどこまで進むかは、日銀の追加緩和や補正予算を見ていては方向を見誤る。震源地である中国や欧州の不安がいつ払拭されるのか、新興国の連鎖破綻はどこから発生してどこで止まるのか、アメリカ経済の失速が明確になって金融緩和政策がいつから再開されるか、にかかっている。投資を積極的に行っているなら、大勝負して破綻しないようにすることが最も重要だ。「投資には関係がないし、興味も無い」のであれば、不景気が数年続いたらどうすべきか、準備できることは何か考えておいた方が良いだろう。株価・為替水準と好不況、それらとあなたの日常生活は意外に関係しているのだ。

(念のため付言すると、上記は筆者の個人的な見解であり、eワラント証券の見解ではない。)


土居雅紹 (どいまさつぐ)氏
土居雅紹 (どいまさつぐ)氏
eワラント証券株式会社
チーフ・オペレーティング・オフィサー
CFA協会認定証券アナリスト(CFA)
(社)証券アナリスト協会検定会員(CMA)

ラジオNIKKEI「ザ・マネー」月曜日のレギュラーコメンテーター。月刊FX攻略、Moneyzine、日刊SPA、ロイターなどに寄稿。著書に『勝ち抜け! サバイバル投資術』(実業之日本社)『eワラント・ポケット株オフィシャルガイド』(翔泳社、共著)など。