桜の開花は毎年早いの遅いの列島あげて大騒ぎじゃが、そんな騒ぎを知ってか知らずか今年もきれいに桜が咲いた。ヤフーのおすすめ花見スポットでは原子炉からそう遠くないエリアも人気スポットとして紹介されている。医者としては複雑な気分なのだが……。
開花の遅れた桜をまたずして、3月ひっそりと散っていった命がある。2011年9月に腎臓疾患を患っている15歳以下の子どもおよそ80人に対して、検査に使う放射性物質を過剰に投与されていた発覚した。この問題を受け、警察が診療放射線技師長補佐を任意で事情聴取していたのだが、2012年3月14日にこの技師長補佐が自殺をした。今回はこの事件についてオイラの見解を述べておきたい。
まず最初に亡くなられた方のご冥福をお祈りし、残されたご遺族の方々には心からお悔やみ申し上げます。また、大切なお子さんを過剰に被ばくさせられてしまった保護者の方々には、同じ医療従事者としていたたまれない事件であったことを痛感し、事件の原因が少しでも解明されることを願っております。
さて、これから話す内容は、あくまでもオイラの想像する範囲であり、事実と異なるところがあるかもしれない。しかしオイラが指摘するところは、この事件は病院という閉鎖された社会の問題や病院内にあるヒエラルキーが見え隠れする事件ではないかという点だ。
病院で勤務する診療放射線検査技師にとって良い仕事とは、良い写真を撮ることにある。“良い写真”というのは、医師が診断しやすい写真のことである。つまり、鮮明に映し出された患者さんのレントゲン写真を提供することが「いい仕事してるねぇ」と、医者から評価される検査技師である。
ということは逆に、病院という社会の中では良い写真を撮らなければ検査技師として評価されないという一面もある。この事件の技師には、もしかするとそんなプレッシャーがあったのかもしれない。患者さんへの影響を十分理解しながら、しかしそれでも医者に正しい診断をしてもらうため、ジレンマを抱えながら。ある報道によると、亡くなった技師は「子どもはじっとしてないので、短時間で鮮明な画像を得たかった」からと、警察に説明していたという……。
次回はなぜオイラがこんなことを考えたのか、もうちょっと具体的に話してみる。オイラ自身の体験を紹介しつつ、医療関係者であれば少なくとも共感してもらえるような話になるだろう。