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  • 北朝鮮の美少女たちがロックを演奏!?
  • 爆風スランプのドラマーであり、Runnnerやリゾ・ラバなどのヒット曲のコンポーザーとしても知られるファンキー末吉氏。現在はLOUDNESSの二井原実、筋肉少女帯の橘高文彦らとバンドX.Y.Z.→Aで活躍するほか、中国でも「亜洲鼓王」として手がけたアーティストの楽曲をチャート上位に送り込むという偉業を遂げている。
    そんな彼が、ロックで北朝鮮の少女たちとの6年間の交流を描いた書籍「平壌6月9日高等中学校・軽音楽部 北朝鮮ロック・プロジェクト」が出版された。この本のプロローグを読めば、日本で人気バンドとなった著者が北朝鮮で6年越しのプロジェクトを実現させた背景を見ることができる。日本では一面的な情報でしか知ることのできない北朝鮮を、少女たちとのロックという文化交流を通し、自身の経験で語る1冊である。

  • 「ファンキーさん、北朝鮮に行きませんか?」
  • 平壌の様子

  • 「ファンキーさん、北朝鮮に行きませんか?」

     荒巻正行と名乗る男から突然そう持ちかけられたのは、2006年の5月のことであった。
     その頃私は、中国は北京に拠点を移してもう久しかった。
     もともとは1990年、北京で当時アンダーグランドだった「黒豹(HeiBao)」というロックバンドと出会ってから、「俺は中国人になる!!」と言って毎月毎月北京に出かけては「将来は北京に移住したい」という夢を膨らませていたのだが、当時爆風スランプは「Runner」「リゾラバ」「大きな玉ねぎの下で」などミリオンヒットを連発していて、すでに「バンド」というよりは「企業体」というほど巨大化していたので、会社や仲間に多大な損害を被らせてまでそれを実現出来る状態ではなかった。
     それでもその夢忘れられず、ついには「黒豹(HeiBao)」のファンである中国人女性と国際結婚し、いつかは北京に移住したいと願いつつも、皮肉にもその夢は、その妻と離婚した2000年になってやっと叶えられることとなってしまった。
     北京に居を移してからは北京を中心にスタジオミュージシャンとして、中国人歌手のためにアレンジをしたり、プロデュースをしたり、バックバンドとしてドラムを叩いたり、中国映画の音楽監督などもやったりして結構忙しく暮らしていた。
     日本には、ラウドネスのボーカル二井原実や筋肉少女帯のギタリスト橘高文彦、その後活動を停止した爆風スランプのベーシスト和佐田達彦と組んだ「X.Y.Z.→A(エックスワイズィートゥーエー)」というバンドがあり、北京からそのライブのために毎月毎月日本に出かけてゆく生活を過ごしていた。

    「文化交流はねえ、スポーツだと勝ち負けが生まれるし、文学や絵画はリアルタイムじゃないし、歌は言葉の壁があるし、やっぱ楽器なんですよね。楽器を演奏したらその場の空気がひっくり返るぐらいの絶対的な腕を持っていて、共産圏に住んでいる日本人、それはファンキーさんしかいなかったんですよね」
     荒巻は、時折ずれ落ちて来るメガネを指で押し上げながら私に熱く語った。


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